Directus

ディレクタスの30年とCRMの未来 ①

株式会社ディレクタス 代表取締役 岡本泰治


今年ディレクタスは創業30周年を迎えました。始めたときは3か月先も続くかどうか心許ないような状態で、その後ビジネスを取り巻く環境も激変してきました。正直「よく続いたな」というのが実感です。ここまで続けてこられたのは、ひとえにこれまでに出会った皆さまの ―― すべてのお客様とお取引先、ご協力いただいたパートナーの皆さま、そしてこれまでの社員のみんなの ―― おかげです。本当にありがとうございました。

本連載では30周年のご挨拶に代えて、弊社の30年の歩みをCRMの歴史と重ねて振り返り、さらに広い意味でのCRMが今後どうなっていくのかについて考えてみたいと思います。

ダイレクトマーケティングビジネスでの創業

1993年の創業当初、弊社は自動車メーカーや紳士服量販チェーンなどをお客様として紙のダイレクトメール(DM)を使ったダイレクトマーケティングをお手伝いしていました。DMの企画制作・印刷、送付先リストの手配、発送代行などが当時の主な業務でした。私は新卒でリクルート社に入社して大学生向けの採用広告媒体「リクルートブック」の営業を担当していましたが、入社5年目に退職し、その後ディレクタス(当時はエイブルという社名でその後社名変更しました)を設立しました。ダイレクトマーケティングの仕事を始めたのはそれが当時の自分にできることだったからです。

私が経験したリクルート社の大卒採用広告事業も、いわば学生を対象にしたダイレクトマーケティングでした。主に大学経由で収集される大学4年生のデータベースが最も重要な経営資源で、そのリストを使って企業の採用広告のみで編集された百科事典のようなリクルートブックが学生に送付され、学生は関心のある企業に添付されている資料請求はがきを送ります。その返信はがきのリストに対して企業は会社案内を送ったり説明会を案内したりするわけです。今でいうリードナーチャリングのための見込み客データ収集と同じ構造です。

たまたま学生のデータベースを使ってDMの仕事をしている方と知り合いになり、最初はその営業代理のような形で学生向けのリクルートスーツや卒業式の着物、新社会人向けのスーツ、自動車などの販促DMを送る仕事を始めました。何のつても無く企業の代表番号への電話から始める新規開拓営業でしたが、リクルートでの営業経験が役立ち、何とか顧客を獲得することができました。

転機になった新車発売キャンペーン企画

事業が拡大するきっかけになったのは自動車メーカーの見込み客データ収集と活用の企画でした。

当時は自動車メーカーで新型車が発売されたときに、「新型○○○発売記念キャンペーン」といった企画をよく実施していました。新聞広告などで「新型○○○登場!!応募者の中から抽選で〇名様に新型○○○を1台プレゼント!」と告知して、はがきで応募してもらうキャンペーンです。はがきにはクイズの答えを書くのですが、新型車の車名「〇〇〇」の真ん中の文字だけ空欄になっていて、その一文字は何でしょう?といったクイズでした。(もちろん車名はデカデカと広告に書いてあります。)多い時は数十万件の応募があるのですが、抽選が終わると残りのはがきは全て焼却処分されていました。もったいないように思えますが、キャンペーンの目的は車名の認知向上なのでそれで良かったのです。

私たちはある自動車メーカーの広告代理店に、新発売の商用車のキャンペーンで応募はがきの応募者情報を入力し、それを販売会社のDM&テレコールリストとして使うことを提案しました。応募はがきにはアンケート回答も記入してもらうことにして、今の保有車と買い替え予定時期を答えてもらいます。抽選後に残った応募はがきをアンケート回答で振り分け、アプローチ対象の分だけ入力に回してデータ化します。入力したデータは住所によって販売会社(販社)に振り分けて、DM用の宛名ラベルと営業が荷電するためのテレコール用リストを印字し、DMをその部数に合わせて印刷して販社に直接納品しました。

各店舗に振り分けやすいように、宛名ラベルとテレコールリストは店舗ごとに分けて納品するのですが、この住所による振分けがとても大変で、この時初めて国土地理協会の11桁住所コードの存在を知りました。自動車の場合メーカーと販社は別法人で、地域によって資本も異なります。チラシやDMは販社の予算で実施するので、メーカーの販促部を通じて全国の販社に企画を説明し、希望のあった販社にこのサービスを提供しました。当時私を含めて社員が4人ほどで、データ処理やラベルの印字から納品まで全部自分たちでやりました。

今から考えると恐ろしく手間のかかる企画ですが、結果は上々で販社からの評判がとても良く、多くの新型車キャンペーンで同じ企画を受注しました。

初めて受注したときに代理店の担当者から、「キャンペーンの事務局もできますか?」と聞かれて「はい、大丈夫です!」と答えましたが、もちろんキャンペーン事務局の経験などありませんでしたし、何をするのかも知りませんでした。郵便局の私書箱を使うようなノウハウもなくて応募はがきの宛先を事務所の住所にしていたら、文字通り山のような応募はがきが小さな事務所に届けられて青ざめたり、抽選のやり方も知らなくて、こっそり知り合いの代理店の人に教えてもらったり、今だから笑える失敗がたくさんありました。
このような見込み客獲得の手法はその後インターネットとメールの登場に伴ってはるかに簡単に高度に実現できるようになりました。

CRMの源流

弊社が創業した1993年、米国ではその後CRM(※)の流れの源になるいくつかのことが起きていました。

※CRMの定義は色々ありますが、本稿でCRMとは「個々の顧客を把握して良い関係を築き、優良顧客を増やして企業収益を高めようとする経営の取り組み」である、という前提で話を進めます。ソフトウェアとしてのCRMはCRMシステムと呼ぶことにします。また、CRMの中でもBtoC領域の話が中心で、BtoBやカスタマーサービスの視点などは抜け落ちている点はご容赦ください。

まず代表的なCRMシステムベンダーのSiebel Systemsが設立されたのが1993年でした。創業者のトーマス・シーベルは元ORACLEのトップ営業だった人です。(Siebel Systemsは2005年にそのORACLEに買収されました。)

最近LTV(Life Time Value=顧客生涯価値)という言葉をよく耳にしますが、LTVの概念を初めて提唱したドン・ペパーズとマーサ・ロジャースの「One-to-One Future」が米国で出版されたのも1993年でした。「One-to-Oneマーケティング」(ダイヤモンド社)として日本で出版されたのは1995年です。

One-to-Oneとは顧客一人一人に合わせてサービスやコンテンツをパーソナライズすることだと考えられていることが多いのですが、この本をちゃんと読むとOne-to-Oneの中心テーマは顧客一人一人とのリレーションシップによる顧客シェアの獲得とLTVの最大化であることがよく分かります。CRMの中心となる概念の多くがこの本の中で提示されています。当時の私にはLTVや顧客シェアといったコンセプトが衝撃的といってもいいほど新鮮で、貪るように読んだことを覚えています。

ちなみにアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)の方たちが書いた日本初の本格的なCRM解説書「CRM 顧客はそこにいる」(東洋経済新聞社)の初版が出版されたのは1998年のことです。その前年にはSiebelの日本法人も設立され、この頃にはCRMはIT業界の流行り言葉になっていました。

顧客ロイヤルティのマネジメント

カスタマー・ロイヤルティやカスタマー・エクイティの現在に繋がる考え方も同じ頃に確立されました。1993年にフレデリック・F・ライクヘルドが「Royalty Based Management」という論文をHarvard Business Review(HBR)に発表し、1996年には「The Royalty Effect」(邦訳「顧客ロイヤルティのマネジメント」ダイヤモンド社,1998年)を出版しています。その本の中で「新規顧客獲得には既存顧客維持の5倍のコストがかかる」という説を述べていて、それが「コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント」(丸善)などで引用されて有名になりました。

1996年にはロバート・ブラットバーグがHBRに「Manage Marketing by the Customer Equity Test」という論文を発表しています。日本で2002年に出版されたブラットバーグの「顧客資産のマネジメント」(ダイヤモンド社)ではカスタマー・ロイヤルティを企業にとっての資産と考え、その顧客資産(カスタマー・エクイティ)の概念を管理会計にどう反映させるのかを具体的に示しています。カスタマー・エクイティの視点から顧客獲得、顧客維持、追加販売の3つの戦略のバランスを最適化する考え方はとても論理的で、今読んでも全く古さを感じません。もっと活用されるべき手法だと思います。

現在使われているCRMの概念や理論はこの時代(1990年代)にほぼ完成されていたのではないでしょうか。

ちょっと横道に逸れますが、前述のライクヘルドは1990年にHBRに発表した「Zero Defections: Quality Comes to Services」という論文の中で”Companies can boost profits by almost 100% by retaining just 5% more of their customers.”(企業は顧客維持率を5%向上すれば利益を100%近く伸ばすことができる)と書いていて、それをバイロン・シャープが「ブランディングの科学」(朝日新聞社)の中で「結局、ただの理想論でしかない」と痛烈に批判しました。確かにそれらの説は検証結果ではなく理論モデルとして紹介されていて、エビデンスは提示されていないのですが、一方で顧客維持率が重要な指標の一つであることは間違いないと思います。(「ブランディングの科学」のCRM論については本稿の後の回で検討したいと思います。)ライクヘルドは後で紹介する「CRM 失敗の本質」という論文も書いていますし、2006年に「顧客ロイヤルティを知る『究極の質問』」(ランダムハウス講談社)という本で顧客ロイヤルティの指標であるNPSを初めて紹介した人でもあります。ベイン・アンド・カンパニーのコンサルタントですが、CRM領域の代表的な理論家だと思います。

マーケティングの世界ではリレーションシップ・マーケティングという考え方がありますが、CRMはそこから生まれたわけではありません。「One-to-Oneマーケティング」の原題「One-to-One Future」には”Marketing”という言葉はなく、経営戦略の書といえますし、「CRM 顧客はそこにいる」はITの文脈で書かれた本です。CRMの前提にはCRMシステム=顧客データベースがあり、データによって顧客を把握することからスタートします。CRMはIT領域で生まれたコンセプトです。マーケティングの文脈で見ると、リレーションシップ・マーケティングを実行するための取り組みがCRMだといえるでしょう。

CRMブームとDMビジネス

1990年代、日本でも小売業を中心に次々とCRMシステムが導入されました。「CRMブーム」といっていい活況で、最近のDXブームにも少し似ています。

当時最もベンチマークにされた会社の一つが丸井さんではないでしょうか。与信の問題で他のクレジットカードを持てない学生など、若年層に圧倒的なシェアを誇った「赤いカード」によって、丸井さんは若年層の洋服の購買履歴をまるごと把握することができました。当時はDCブランドが大流行していましたが学生にはちょっと高価でした。分割払いで買えるのは「赤いカード」しかないので、学生は全ての洋服を「赤いカード」を使って丸井で買うことになるわけです。例えばスーツを購入してコートの購入履歴がない顧客に、次のシーズンはコートのDMを送るといった成功事例が紹介されていましたが、それも多くの顧客のタンスの中身を丸ごと把握している丸井さんだから成立した施策といえます。

まだインターネットも普及していなかったので、顧客へのアプローチ手段といえばDMです。90年代前半はまだバブルの余韻も残っていて、DM活用のニーズは拡大していました。販促DMの送付数はピークに達していたのではないでしょうか。

そんな中で弊社はDMを中心としたダイレクトマーケティング事業を立ち上げたわけですが、前述したように最初はCRMというよりも販売促進のためのDM活用が主な業務でした。クライアントの窓口は販売促進部とか販売支援部といった部署です。CRMの担当部署は情報システム部門やそこから独立したCRM部でしたが、施策を実施するときはDMが多いので販売促進部が担当します。販売促進部を通じて接点ができて、弊社はCRM領域のDMも一部お手伝いするようになりました。

CRM冬の時代

ブームが過ぎ去って2000年代に入る頃、CRMは世界的に冬の時代を迎えていました。日本でもCRMシステムについては「導入はしたものの上手く使えず効果が出せない」という声が出始め、一部の現場では「顧客数が多いと処理が止まる」「操作が難しくて結局DMラベルの出力にしか使えない」と厄介者扱いされるようになっていました。ある会社ではCRM部も解体されていわゆる黒歴史になっていて、情報システム部門との打合せではCRMという言葉を出すことすら憚られるような雰囲気があったことを覚えています。

前出のライクヘルドは2002年、HBRに「CRM『失敗の本質』」という論文を共著で発表しました。その中で「CRMプロジェクトのうち実に55%は何の成果も上がっていない」というガートナー社の調査結果などを紹介し、その失敗の原因を4つ挙げました。1)顧客戦略がないままにCRMを導入してしまう 2)組織を改革せぬまま導入に踏み切ってしまう 3)CRMテクノロジーがハイテクタイプならよしとしてしまう 4)顧客を囲いこもうとして逆に嫌がられてしまう の4つです。20年以上も前の話ですが、今でも顧客コミュニケーションを謳ったシステムの導入に際して当てはまることが多い「失敗の本質」ではないかと思います。

インターネットの登場とEメールマーケティングへの移行

1995年頃から日本でも急速にインターネットが普及し始めました。(インプレスの「インターネット白書」が初めて出版されたのが1996年のことです。)さらにバブル崩壊の影響が本格化し、郵送料の嵩むDMは徐々に経費削減の対象となっていきました。弊社も2000年頃にビジネスの中心をDMからEメールマーケティングにシフトしました。リクルート時代の同期がEメールマーケティングのベンチャー企業の取締役になっていて、彼からの依頼でEメールマーケティングの仕事を始めることができました。

CRMの停滞をよそに、Eメールマーケティングはインターネットを使った最先端のマーケティング手法として登場しました。多くの場合、webサイトのメールマガジンを立上げて登録者を集め、自社サイトに誘導するためのメルマガを発行することから始められていました。担当部署の多くは当時まだ立ち上がったばかりのインターネットマーケティング部や新規事業開発室のような部署で、広告宣伝部やマーケティング部ではありませんでした。担当者の方たちは自分たちの仕事を社内的に理解されず、苦しみながらも新しい領域に果敢に取り組んでいました。

弊社の仕事も最初はメールマガジンの原稿書きから始まりました。(もちろん私自身も書きました)まだテキストメールしかない時代です。「まぐまぐ」のような日本独特のインフラが早くからできていて、個人でメルマガを発行するメルマガ文化ができていました。牧歌的な時代で、メールマガジンを出したらお客様から返事が返ってきて、そこで文通みたいなやりとりをすることもよくありました。当初の主な業務はメルマガ制作やwebコンテンツの運用でしたが、次第に戦略策定や運用設計も行うようになり、配信システムを使ったメール送信代行も始め、Eメールマーケティングに必要な全てのサービスを提供するようになりました。

DMと違って郵送料がかからず、開封やクリックの反応状況がリアルタイムで分かるEメールは、夢のツールのように思えました。

本サイトのインタビューにも登場していただいたANA様の仕事を始めたのもその頃です。ちょうどANAマイレージクラブの会員向けた本格的なEメールマーケティングを立ち上げられるタイミングでした。コミュニケーション・ポリシーと戦略の策定から始め、メール体系や運用フローを設計して個別のメールの企画・制作を担当するようになりました。年間の方針とそのためのアクションプランを策定して進捗状況を確認しながら、毎月のレポートを分析して改善を繰り返していくというPDCAサイクルも徐々に確立されていきました。そのPDCAサイクルの運営は当時から現在に至るまで20年以上続いています。これはディレクタスが初めて本格的に取り組んだCRM領域の仕事で、弊社はこの仕事を通じて本当に多くのことを学ばせていただきました。

Eメールマーケティングの進化と「パーミッション・マーケティング」

単なるメルマガの送信ではない、戦略的なEメールマーケティングの取り組みが増えてくるにつれ、弊社も新しい手法を提案するようになりました。

例えば一通目のメールの開封・クリック状況によってその後のメールの内容を出し分ける、シナリオ型メールを企画しました。今ならマーケティングオートメーションが自動でやってくれますが、当時は開封・クリックログをダウンロードして2通目のセグメントを作る完全手動運用です。面倒でしたが効果は出ました。「私信型メール」と称して、差出人を個人名にしてOne-to-Oneで私信風にメールを送る手法も考えました。顧客からは本当に私信のメールが届いていると思われ、返信が返ってきます。その返信に対応するためのチームを作っておいて、その後は本当に個別に対応する仕組みでした。

また、前述したような自動車の見込み客獲得をインターネット上のキャンペーンで実施し、大規模な見込み客データベースを構築して継続的にナーチャリングを行うというプロジェクトを立ち上げるお手伝いもしました。

1999年に出版されたセス・ゴーディンの「パーミッション・マーケティング」(翔泳社)は、Eメールマーケティングのあるべき姿を示してくれるような本でした。顧客の都合にお構いなく大量の広告メッセージを押し付けるやり方を「Interruption Marketing」(初版訳では「土足マーケティング」)と呼んで非難し、事前に承諾をもらいながら1歩1歩顧客との関係を築いていくパーミッション・マーケティングを提唱していました。

パーミッション・マーケティングの考え方は一人一人の顧客を大事にすることによって関係を築いていくという点でOne-to-Oneに通じるものがあります。実際「パーミッション・マーケティング」の序文はドン・ペパーズが書いていますし、セス・ゴーディン自身もこの本の中でOne-to-Oneマーケティングについて一節を割いていました。セス・ゴーディンはこの本の中でcookieデータを利用した広告配信にユーザーのパーミッションが必要になることまで言及していました。驚くべき先見性です。

個人情報利用に関する許諾やSPAMメール、フィッシングメールなどが大きな問題になっている今、読み直されるべき本だと思います。(ちなみに2種類の翻訳があるのですが、坂本啓一さんの旧訳の方が躍動感があって面白いです。)

Eメールマーケティングの高度化に挑んだ「行動ターゲティングメール」

顧客データに基づく1to1コミュニケーションにこだわっていた私は、属性情報や購買履歴によるターゲティングが精一杯だったEメールマーケティングをもっと高度化したいと思っていました。2008年に出版された湯川鶴章さんの「次世代マーケティングプラットフォーム」(ソフトバンククリエイティブ)を読んで、Omniture 社のweb解析ツールSite Catalyst(現Adobe Analytics)を使ってwebアクセスログと顧客IDとを紐付け、顧客のweb上の行動に基づいてメールを送信しているという米国の事例を知りました。(湯川さんにはその後会いに行って弊社セミナーの講師をお願いしました。)

何としてもこれを日本で実現したいと考え、2009年に当時のOmniture社(現 アドビ株式会社)に頼み込んでパートナーにしてもらいました。日本では制度的に販売パートナーしかなかったのですが、Omnitureさんは弊社にはSite Catalystを営業するだけの体力がないことを承知の上で、この取り組みの意義を汲んで販売パートナーにしてくださいました。(実際一社も売れませんでした。)

行動ターゲティングメール

その後Site Catalystのトレーニングを受けて検証を行った上で、「行動ターゲティングメール」と称してアクセスログに基づくメール配信を何社かで始めました。ANA様では「沖縄路線の空席を検索して予約しなかった顧客に沖縄路線のプロモーション情報を送信する」といった施策のA/Bテストを実施し、その成果をカンファレンスなどで発表しました。左の画像は2011年のad:tech tokyo で使ったスライドです。(ちなみに当時はスライドを英語で作ることになっていました。)
既にアクセスログに基づくwebサイトの出し分けツールは使われ始めていましたが、メールで大規模に展開されたのは日本ではまだ珍しかったと思います。

「行動ターゲティングメール」の効果は抜群でしたが、運用に手間がかかり過ぎました。まずメール上のリンクにハッシュ化した顧客IDをパラメータとして差し込み、そのリンクをクリックしてもらうことによって顧客IDと紐付いた状態でアクセスログが収集されます。メールのクリック率は5~10%程度なので、この時点でIDとアクセスログが紐付く顧客は全体の5~10%です。次に対象となる特定ページのログをダウンロードしてきて紐付いている顧客IDを抽出します。その抽出されたIDでターゲットセグメントを作るわけです。あまりに効率が悪くて、いくら反応率が高くても拡大展開できるモデルではありませんでした。

  >>ディレクタスの30年とCRMの未来 ②に続く